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夫の後始末

目次


まえがき 夫を自宅で介護すると決めたわけ

 

第一部 変わりゆく夫を引き受ける

  • わが家の「老人と暮らすルール」
  • 夫の肌着を取り替える
  • 布団が汚れたら、どうするか
  • 八十五歳を過ぎた私の事情
  • 夫の居場所を作る
  • 食事、風呂、睡眠のスケジュール
  • モノはどんどん捨てればいい
  • 夫が突然倒れた時のこと
  • よく歩く、薬は控える、医者は頼らない
  • 介護にお金をかけるべきか
  • 「話さない」は危険の兆候
  • 介護にも「冗談」が大切
  • 明け方に起きた奇跡
  • 夫に怒ってしまう理由
  • 散々笑って時には息抜き
  • 「食べたくない」と言われて
  • 老衰との向き合い方
  • 「奉仕」とは排泄物を世話すること
  • 温かい思い出と情けない現実

第二部 看取りと見送りの日々

  • 夫の最期の九日間
  • ベッドの傍らで私が考えていたこと
  • 戦いが終わった朝
  • 息子夫婦との相談
  • 葬式は誰にも知らせずに
  • お棺を閉じる時の戸惑い
  • 夫の遺品を整理する
  • 変わらないことが夫のためになる
  • 広くなった家をどう使うか
  • 遺されたメモを読み返す
  • 心の平衡を保つために
  • 納骨の時に聞こえた声
  • 「夫が先」でよかった
  • 人が死者に花を供える理由
  • 夫への感謝と私の葛藤
  • 「忘れたくない」とは思わない

書評


この本について知ったのは、吉祥寺駅で降りた時だった。

 

大きな広告に“夫の後始末”という、ぎょっとするようなその本のタイトルが頭に焼き付いた。

 

何の情報も知らなかった時は、老々介護で疲れ果てた妻が夫を殺めてしまう本かなと思った。

 

 

調べると、確かに夫の介護についての話ではあるけど、私が想像していたドロドロしたものとは違った。

 

どちらであっても、このタイトルを考えた著者の本に興味が湧いた。

 

 

 

著者の曽野綾子さんは、夫だけではなく、自身の母と夫の両親の介護自宅でしてきたそうだ。

 

 

 

 曽野綾子さんは自宅で身内を介護してきたことを大変だと思ったことはないと話されているが、大抵の人はそんな風には思えないと思う。

 

 

介護ヘルパーは仕事として介護をしているので、割り切ることができる。

しかし、身内を介護するとなると、仕事という感覚を持つことは難しい。

 

 

なぜなら、身内同士となると、介護される側もやってもらって当たり前と思うからだ。もちろん全ての人じゃない。

 

お互い知った仲だからこそ、遠慮がないので不満や文句を好き勝手に言う。介護する側の気持ちも考えずに。

 

 

 

その、人に配慮できる能力が失われていくのも、老人になると自然になることで仕方がないのだけれど。

 

 

 

ところで、曽野綾子さんはキリスト教徒だ。

 

 

本を読んでいて、普通の人ならば葛藤するであろう場面(介護中)で、冷静に判断したり、意識的に自制しているところに気付いた。

 

こういうのってキリスト教徒とか関係なく、何か信じるもの(神など)を持っている人に共通してあるものじゃないかと思った。

 

 

私の友達の友達に、イスラム教徒の人がいるが、芯があって、ぶれない。

 

やり過ぎず、やらな過ぎす、シンプルに、必要最低限の行動をする。

 

 

 

曽野綾子さんが、切羽詰まった状況(例えば介護など)でも、冷静でいられるのは、そういう存在の教えがあるから、人道的な判断ができるのではないかと思った。

 

 

第二部の“人が死者に花を供える理由”でこう話されている。

 

人の面倒を見るのはまっぴらだと言った後で、“親でも子でも配偶者でも、そしてもしかしたら行きずりの未知の人でも、世話をするのは自分以外にいない、と思い込むかもしれない。好き嫌いの問題ではないのだ。”と。

 

 

それに以外にも、深いことを何も知らない私にとっては、曽野綾子さんは、非常に自分に厳しい方という印象を持った。

 

 

事あるごとに自分を律していて、もっと自分軸でも生きていいのではないかと思ってしまう。

 

昔ながらの日本人だなとジェネレーションギャップを感じた。

 

 

 

 

この本は、同じ経験をされている人にとって、「よし!私も頑張ろう!」という気持ちになれるかは分からない。

 

曽野綾子さんがデキすぎてる介護人だから。(ご本人はそうは思っていないようだけど)

 

 

それよりも、読まれる確率は低いと思うが、若い人達に是非読んでもらいたいなと思う。

 

 

 

 メディアでは、認知症になった老人が暴走しているなどのニュースが目立つ。

 

そんな老人達のことを“老害”と呼ばれているのはご存知だろうか。

 

 

自分達より、先輩の人が、大人の人が、なんて大人気ないことをするのだろう。と時には怒りを覚えるかもしれないが、老人達がそうなってしまうのには理由がある。

 

 

私は決して、人生の先輩なんだから否応なく尊敬しろと言っているのではない。

 

(私はむしろ、相手が年上であっても、自分が尊敬できないなと思ったら距離を置く方だ。)

 

 

老人(老年期)とはそういうものだと認めてしまえば、そんなニュースを見ても、いちいちカッカッすることがなくなるんだと言いたい。

 

だって怒ったって何のメリットもないじゃないですか。怒って何か得することでもあるのか。

 

 

そんな、老人達の真実!のようなことが、この本の中で発見できると思いました。

 

老人が嫌いな人には理解したくもないと思うでしょうが、まぁそう思ったところで、貴方の機嫌は良くならないでしょう。

 

 

 

私が特に好きだったのは、曽野綾子さんと、その夫の三浦朱門さんとのユーモア溢れる会話

 

長く生きているからこそ、そんな会話ができるのだなと思った。

 

若い人のジョークより、切れていて、深くて、上品で、面白い。この年代の方々?って皮肉が上手。

 

若い人のジョークは意地悪な発言で終わってしまう。

 

しかし、人生経験豊かな人のジョークは皮肉っているんだけど、その中に愛がある。

 

と私は思う。

おすすめしたい人


  • 若者。(特に老人嫌いな人)
  • 仕事で老人のお客さんに接することが多い人。
  • ご家族に介護(援助)してもらっている方。

著者プロフィール・曽野 綾子さん


1931(昭和6)年東京都生まれ。作家。本名は三浦知壽子。カトリックのクリスチャン。

聖心女子大学英文科を卒業後、1954(昭和29)年に「遠来の客たち」で芥川賞候補となり、作家デビュー。『虚構の家』『神の汚れた手』『時の止まった赤ん坊』『天上の青』など小説の他、『誰のために愛するか』『人間にとって成熟とは何か』など、エッセイでもベストセラー多数。

1995年から2005年まで日本財団会長を務め、国際協力・福祉事業に携わる他、2009年から2013年まで日本郵政社外取締役を務める。

作家の三浦朱門とは1953(昭和28)年に結婚。以降、氏が2017年2月3日に逝去するまで63年あまり連れ添う。